九月の雨

september rain _ archive
⒊ 何か当たり前だったものが、貴重であったと気がつくのは、その貴重なものを当たり前に使って、使い捨てていた経験よりも貴重だと思う、不便が訪れるなら、その不便利な客人を歓迎して味わうしかない。それは貴重な体験をもたらすから、本当に歓迎して良い。 自分の見ている景色が変わるということが何よりも大切なのだということを時々思い出すべきだ。そして景色などというものは一瞬たりとも止まることなく、変化し続けていて、そのこと自体によって何も不具合が生じていないということが証明される。
⒉ 梅田のカリブのトレファクで、買うか迷っていた折り畳み式のキーボードが売れていた、1300円だった。だからどうということでもない、今使っているのと同じキーボードはもう予備まで買ってあって、今日もう一台届く。それは1,111円だった。必要なものはもう全て揃っているのだが、石油危機の危機感が煽られていて、今買えるものが、今後確実に買えなくなると思うと、あまり使いたくない金を、最近はいつもより使ってしまっている。もう何も買わないという段階に入りたいと思っている。
⒈ いつの間にが4月なのだが、それが何なのかと思う。時間が速く過ぎて、それで焦るというのはおかしい、何かこれ以外の時間の過ごし方が、まるであったかのように、反射的に思うのは少しおかしい。 普通の人間は何かの真似をしていると、最近は思う。これは間違っていないと思う。 どんなことも簡単に起こる。自分とは関係なく、どんなことも勝手に起こる、兄弟には子供ができる、友達は勝手に去って行く、家族はいつの間にか死んでしまう。知らない場所で会ったことのない少女は自殺する。気がついたら誰も残っていないみんな死んでしまう。取り返しのつかないことが実は、何とかなったのではないか、自分が行動を変えれば起こらないで済んだことが、実はたくさんあって。時間がいつの間にか過ぎているということが、その自分がやらなかった無数の行動の分だけ、大変に恐ろしくなる。 世界とは端的に恐怖だ。生きることや、知らない場所で過ぎてゆく時間のことを考えると、誰でも恐ろしくなる。未知を恐れることは、死を恐れることに似ているが、しは確実に存在するわけではないが、見知らぬ深海の深さのような未知は、空想の中で無限に増殖する。自分の手元にない広大な空間への恐れは、気を狂わせる種類の恐怖である。